大山の家

思いをカタチに

3年半という月日を経ている。何が?と思われるであろう。これは、お声掛け頂いてから現在までの打合せを重ねた年月である。その家が今年、着工を迎える。今、改めて指折り数え、そんな年月が流れていた事に気付く。つまり、それだけ濃密な時間だったのであろう。これだけの年月を要し計画を詰めた案件は他にない。それだけに感慨深いものがあり、たってのお願いでブログへの紹介をお願いしたものである。クライアントと私、双方かなりの量の情報を交換しあいながら、打合せを重ね意見しあった。これまでのエピソードを拾いながら、弘前W邸を通じて家造りに思う事を順を追って紹介していこうと思う。これは、造る時代から買う時代になったと感じる「家」への、私自身の思いでもある。

弘前W邸クライアントのご主人、私と同世代で現在40代前半2児の父親である。非常に礼儀正しく接して下さる。お会いする度に適度な緊張を感じるが、これが実に心地よい。堅い挨拶というのではない。親しき仲にも礼儀ありという。長い年月、親しくお付き合いさせて頂くようになってからも、こういった姿勢は崩れない。ご主人の日頃なのだろう、とても好感が持てる。

和風建築の家を「終の棲家」としたい、そういう思いで関東方面の住宅展示場にも何度か訪れたそうである。綺麗に出来ている、設備面も申し分ない。でも何かが違う、と感じていたらしい。そんな時に、ご主人のお知り合いの家を私が担当し家を建てさせて頂いた。関東での工事であったが、完成後の祝いに訪れ見学されたそうである。ここの家も全て青森の木を持っていって造った。出来る限りの自然素材で造る、当社の看板とも言える建物であった。壁の塗壁、ヒバに杉、御柱のケヤキ、腰壁にもヒバを使っているので、家の中は自然な木の香りでいっぱいである。我々にすれば本物の木だから至極当然の事なのだが、先に訪れた住宅展示場との違いに気付かれた。そこは木目の印刷された新建材だったそうである。何もそれを否定するものでもない。それで十分という人も居れば、やはり本物が良いという人も居る。クライアントと当方の思いがシンクロしたのだろう、直ぐに電話を頂きプラン打合せに入った。

実施設計図と内観パース

実施設計図と内観パース

「大山の家って、自由設計ですか?」当社のショールームや展示場にいらっしゃるお客様から、良く聞く言葉である。自由設計?設計というのは法令規制や材料モジュールなど、種々の制約はあるのだが基本的に自由なものである。そう思って返答すると、〇〇〇ホームや△△△ハウスはプラン集なるものがあって、そこから間取りを選ぶのだという。対して施主の希望を聞いて、自社基準の中の範囲で図面を出してくれるのが自由設計なのだという。商業ベースでいけば、無駄なコストを省くために有効な手立てであろう。家は、敷地がありその立地条件を加味し、そこに住む人が居る。画一のプランなど当てはまろう筈が無い。私はそう信じている。

なぜこんな話を切り出したかというと、W邸のプラン開始へのアプローチが面白い。前述してあるが「終の棲家」としたい。勿論それに対し妥協する気はなく、とことんを突き詰めたい。そこで、考えられる要望を全て書き出し、先ずそれでプランを作り、希望の面積まで収斂させていく、という手法を採られた。「自分達は建築の素人です。だからと言って建築業者のお仕着せも嫌なのです。意見も頂戴しながら自分達も勉強し、悔いの無い自分達の家を造りたいんです。」ご夫妻の語られた、そんな言葉が思い返される。本来なら頂いた要望を咀嚼してプラン図面を提案するのだが、ご夫妻のそんな真剣な眼差しの訴えに感じるものがある。「自分達も勉強したいんです」初めて投げかけられた言葉であった。

結果的に最終型の今の図面になったのはこの1年。何度か繰り返された方針変更を経ての最終プラン。見落としがないかと過去の資料を何度も振り返り、チェックを繰り返した。私の机の上にその資料を積んでいるが、紙面ばかりで20cmは積みあがっている。恐らく何度繰り返し、プランし直してもこうなるだろうと思う。私自身も納得する形に納まっている。室の連なり、関連性、公私の分け、W邸のご家族だからこその家、カタチは見えた。

(設計:黒坂)